きまぐれ散歩
- cocorokirakira-day
- 2025年11月27日
- 読了時間: 2分
気まぐれに、伊勢参宮街道を歩いてみた。

「伊勢に行きたい伊勢路がみたい。たとえ一生に一度でも」と伊勢音頭にも歌われ、多くの人があこがれた伊勢参り。津市の阿漕にある閻魔堂(えんまどう)から八幡(やわた)町にかけて、街道を南進すると、今も往時の連子格子(れんじごうし)に袖壁のある家並が連なっている。
路面はアスファルト舗装され、路肩は緑色に塗装された通学路となっている。江戸時代の建物の前を小学生が毎日通っている姿を想像すると、時空を超える旅人のようで、なんだか不思議な感じがする。

ところで、小学校の通学路はおおむね4km圏内。通学路の指定は学校、道中の通学安全は保護者責任となっている。子どもたちは、重いランドセルを背負って、健気に通っている。寄り道をしたり、信号待ちの間には腰を下ろして休む子もいて、微笑ましい。古い情緒ある街道を通学路にして、健脚を養っている。
また、毎日4kmを往復する子どもたちは、江戸時代の旅人よろしく、知らず知らず、「1里」の距離を体感する。参宮気分で、1里塚で腰を下ろすことにも似て、心地よい速度と距離を日々、会得していることになる。
もともと私たちの身体は時速4kmに合わせてつくられている、と言われている。目も耳も脳も、身体の反応も。訓練を積めば、限界を伸ばすことはできるらしいが、時速200km以上の世界に身を置いた、元レーサーの中嶋 悟さんは、自動車に乗っている人を「座席にシートベルトで固定した卵」に例えている。ひとたび事故の衝撃にさらされれば、無残な姿となる「脆弱(ぜいじゃく)な存在」であるとしている。
ともあれ、「身の丈に合った」「分相応な」「足るを知る」生活のためにも、ものさしが要る。子どもたちのように、歩くことで得られる基準を身体に沁み込ませるためにも、しばらくは参宮街道の散策を続けてみようかと思う。松阪までは5里、伊勢までは10里もある。
道ははるかに遠い。
身のあきや赤子もまいる神路山 宝井其角




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